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こどもに遠慮しないフランスでの子育て

【こどもに遠慮してる?】

 

ご飯をみんなで食べているときに、そこにこどもがいるならば、多くの方はこどもに配慮した会話をすると思います。

 

もちろんこどもが分からない話をすることもあるけれど、もし途中でこどもが何か言えば、基本的には会話を中断してこどもに耳を傾けますよね。

 

 

ところがフランスでは、このような場面で大人の会話が白熱していたとしたら、こどもに遠慮なんてしないそうです。

 

”今、話してるんだから、黙ってなさい。”

 

というような具合に。

 

こどもたちは、会話になかなか入ることができませんから、”早く会話に入れるようになりたい”と強く思うようになり、会話に興味を持つようになるんだそうです。

 

何かを話せばいつでも誰にでも聞いてもらえるってもんじゃないんだよと、自分の声に耳を傾けてもらうことの難しさが身をもって教えこまれているんですね。

 

 

そして、どんな会話をこどもとするかと言うのも、日本のそれと少し違い、その日起こった身近なことを共有するためだけでなく、<議論>をするといいます。

 

たとえば、幼いこどもにも時事を根気強く教え、本人が何を思うかというのを議論します。残酷なものは見せず聞かせずではなく、事実として教えて、なぜそのようなことが起きるのかを説明し、こどもには何があなたにできるかと考えることを促すのです。

 

これってすごいことですね。

 

自分のことはもちろん、世界で起こっていることに関心を持ち、しかもそれと自分のつながりを感じながら自分がそれに対してできることを考える。

 

ほんと、すごいことです。だって、自分が世界に貢献できることは何だとこどものころから意識しながら毎日を送っていくんですから。

 

わたしを含め多くの人は、世界と自分のつながりなんて、なかなか感じれずにいると思います。

”わたしが世界に貢献する”なんておこがましいとさえ、感じるぐらいに。

 

でも自分にも必ず何かはできるんですよね。そこには制約なんてなくて、なんでもいいんですもん。自分がこれは世界に繋がり貢献できることだと思ったことは、人からなんと言われようともそうなんですもん。

 

フランスの親たちは、子が”自分にはなにもできない”と無力を嘆いた時に、こういうそうです。

 

”無力でも祈ることはできますよ”

 

自分にはいったいなにができるのか、それを自ら見つけ出す力を育てるフランスのこの子育てには、わたしは学ぶところが多いと感じました。

 

わたし自身、議論することってとても苦手ですが、むすめやむすこには自分の強い意志をもち、世界で活躍するような人になってもらいたいという思いがありますから、わたしが議論をサケテルようじゃいかんですよ、ですね。

(無謀な願望かもしれないけども…)

 

 

では、またねっ。